AIにとって変わらないところ
- 博子 武内
- 2023年3月25日
- 読了時間: 3分
巷で話題のChat GPT
日本語教育でも大いに活用されそうな予感もしつつ
個人的には、何かの文章の要約を書く課題や読解の問題づくりなどで
授業準備の壁打ちができるかしら??と思っています。
一方、どんどん機能が向上していき
対話の相手として、会話練習もできるようですから
知識を教えるようなことは
もはや徐々に教師の仕事から消えていくかもしれない。
だから、教師の役割もどんどん変わってより広がりが出てくるのだと
思います。
では、日本語教師不足が叫ばれる昨今、
日本語教育を担う教師の仕事はなくなるか、と言えば
私は、高い確率でNo!と言えるのではないかと考えています。
教材や例文、学習項目の魅力的な提示は
どちらが優れているか、、と問うなら、AIが創り出すものが人より勝ることもあるかもしれない。つまり、コンテンツではAIの方がより色々な情報を人間が処理するより短期的に早く導くことが現実的にできるだろうということです。
しかし
一個人が他者と出会う教室で生まれるやりとり、交流、沸き起こる感情は
人と人が生み出すもの。その人の「心」で感じることは「その人にしかないこと」「その人だからのこと」になる、そう考えています。
と、いうのも
先日3時間半のクラスで、途中に10分休みがあるのですが
休み時間にお腹が空くので、次の1時間半に備え、お菓子を口にしようと思い、
自分だけではあれだからと、
同じく長い時間学習し続ける学生にも、、と思って、学生の分も持っていったんです。
長い授業の中のほっこりタイム。
お菓子を選ぶ私も「こんな日本のお菓子食べたことあるかな?」と
学生と一緒に「美味しい」「う、、口に合わない」なんて話すのが楽しみに選んでいて。
最終日に学生から
「みんなでお菓子を買いました。いつも気遣ってくれてありがとうございました」と
言われました。
とても、嬉しかったです。
お菓子をもらったことが、じゃなくて(学生にとっては、お金を出して、先生にお菓子を買うって、気を使うことだと思うので)
一緒にお菓子を食べる時間が、学生にとってもポジティブな時間であったということ
そして、時間を割いて、お菓子を選んでくれたんだろうなぁ、とか
お互いを考えた行動を私たちはしていて、
だからその時間がとっても特別だったということ
「お菓子の交換」は「相手を思いやった行動」であって「その過ごした時間をきっと、またいつかふと思い出すだろうな」という経験になったこと
その場にいた人しかできない経験であり、経験に付随する、その感情は
一人ひとり異なるものであり
その「個」が取って代わられることはない、と思うから。
だからAIをうまく活用しながら
私たち人は他者との時間をどう過ごしていくかにシフトチェンジしていくのかと思います。

コメント