つながる支援を考える2 日本語教師のエンパワメントの必要性
- 博子 武内
- 2023年11月25日
- 読了時間: 4分
先日大阪にある外国人児童等への日本語支援を行う定時制高校を見学させていただく機会に恵まれました。
より先進的な取り組みをされている大阪の高校の内容から
現在行っている定時制高校への取り組みへの示唆を得ることを目的として見学しに行きました。
そこで話題に上ったのが支援を行うにあたり「予算措置の大きさ」です。
予算措置があるということは、外国人生徒等に対する日本語教育に対し
「行政が責任を持って最小限の補償をする」とも言い換えられると考えます。
2018年に出された「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」にも
取り組むべき課題として日本語教育については明示されています。
しかし、支援者の高齢化により支援組織の消滅や衰退、
新たな人材が育ちにくい土壌はあるでしょうし、
ボランティアで関わる割合が多いというのもそれを助長していると思います。
つまり行政主導ではないため、支援が善意によるものとなり、
継続性までが見込まれにくいのではないでしょうか。
また、日本語教育人材の不足が叫ばれ
国は専門性を持った「登録日本語教員」(国家資格)を創設し、
文科省が認める日本語教育機関(従来の法務省告示校)では登録日本語教員しか
働けないことになります。
登録日本語教員は名称独占の国家資格と言われていますから
日本語教育について真摯によりよく取り組んできた努力の証といえると思いますが
そこまで苦労して国家資格であっても
やはり、活躍できる場はまだまだ20年前と変わらない現状だと感じます。
私は今、定時制高校へ支援を行っていますが、その時給は2600円です。
この2600円は高いのでしょうか、安いのでしょうか。
言い方を変えれば、仕事として引き受けるに妥当な金額なのでしょうか。
専門性の対価として妥当なのか?という点も含めてです。
高校での特別の教育課程が導入され
今後、多くの現場が出てきたとしても
仕事の報酬として考えた時、
1ヶ月20万円も稼げないと思います。
身分は非正規ですから、アルバイトと同様ですね。
祝日や長期休みは授業がなくなるため、収入も当然減ります。
いくらあれば生活費として妥当か、、というのは人それぞれでしょうが
日本語学校に勤務していた時、
1週間に16コマ授業をして1ヶ月10万円を超える給料をもらえたことはほぼ
ありませんでした。
3駅分歩いて、その電車賃でおにぎりを1個買うか真剣に悩んだこともあります。
自立した生活を送る上で積極的に選ばれない仕事ではないかと思います。
これも、私が大学生の頃から変わりません。
若い時はそれでも、情熱の方が大きく(技術や学びは浅かったですが)
それでもやっていけたのですが
あくまで「支援者」という位置付けである限り
予算という変わりやすいものに翻弄された、支援の展開、
あるいは、ボランティアに頼る、支援の展開になりがちで
体制を続けていけるのか、、というと、そう思えません。
専門性が求められるのに、
専門性を発揮するだけの、つまり、自立した生活ができるだけの待遇で
落ち着いてじっくり取り組めそうな体制じゃないとも言える中
若い人は参入するでしょうか。
日本語教育機関に集中してしまうのではないでしょうか。
日本語教育は今後少しずつ、拡大していくとは思いますが
体制化、つまり「行政が責任を持つ」政策として進めていくことを
ことあるごとに伝える必要はあります。
そういう点で、ボランティア育成に力を注ぐより
(私自身、大事な支援者だと思ってはいます)
専門性を持った人が、さまざまな日本語教育現場で働ける、
そういう視点で、予算措置や政策を検討してほしいものです。
それには、日本語教師自身が声を上げて
自分たちの自身の活躍の場を勝ち得ていくことも欠かせないことで
自分たちをエンパワメントしていくことも大切な行動でしょう。
だから機会あるごとに
ちゃんと声は届けたいと
先日は地域のパブリックコメント募集に対し、意見を出しました。
それが、ひいては、「持続可能な」日本語支援としてその場が機能していくのだと考えます。

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